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| 山陽学園短期大学同窓会のあゆみ |
山陽学園短期大学同窓会は、短期大学創立20周年を迎える頃にやっと自らの力で活動できるように
なりました。卒業生が同窓会の必要性を認識し、その運営に当ることができるようになるまでには
長い時間が必要だったのです。
山陽学園短期大学同窓会は、第一期生が昭和46年3月に卒業した日に発足しました。このときには
まだ会則も役員も決まっておらず、形ばかりのものであったのですが、第一期生のクラス顧問の一人で
あった村岡知子先生の呼びかけで数名の卒業生が集結し、基盤となる同窓会会則案の作成に
取りかかりました。そして翌年の昭和47年2月20日、学内において記念すべき第1回同窓会総会を
開催したときに会則案が審議され、同年3月1日から施行されることになりました。第二期生卒業生を
含めた同窓会会員名簿の第一号も発行され、いよいよ同窓会活動は本格的に歩き始めました。
このように、第一期生が卒業後一年にしてこれだけ活動できたのは、第一期生の入学から
専攻科卒業までの3年間をひとえに「学生とともに、学生のために」と尽力された村岡知子先生あっての
ことと言っても過言ではありません。
昭和47年以降の大学祭には同窓生のための会合の場が設けられるようになりましたが、次第に同窓会
の運営については正式役員の選出が急務であると話し合われるようになり、昭和50年10月の第2回
同窓会総会で役員の選出、会費の納入方法などについて審議され幹事19名が選出されました。そして
ついに昭和52年5月の幹事会で同窓会初代会長が誕生し、同窓会はより確かなものへと発展しました。
その後も池田道人先生や杉田淳子先生をはじめとする多くの先生方のご協力により同窓会会費の
納入方法や会員名簿の作成、会則改正、役員改選などを手がけ、昭和62年度卒業生から終身会費制へ
移行。昭和63年8月の総会では2代目会長が誕生し、ついに、かねてから発行が待ち望まれていた
同窓会会報が同年10月7日に創刊されました。
昭和46年の発足以来、先生方や学校によって支えられてきた同窓会ですが、昭和49年の開学5周年
記念に生花を贈呈したことをはじめとして、山陽学園創立記念年や短期大学開学記念年の節目には
学校や学生のために金一封や施設建立で祝意を表すことができるまでになりました。
平成18年には山陽学園創立120周年を迎え、短期大学同窓生も15241名になりました。学校が同窓会を
育てて下さった日々に代わって、今後は同窓会が学校を支援できますようますます活動の場を
広げてまいりたいと思います。 |
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【参考文献 山陽学園短期大学創立20周年記念誌】
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| 昭和 |
46年 3月 |
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山陽学園短期大学同窓会発足 |
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47年 2月 |
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第1回同窓会総会開催 会則の審議 |
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3月 |
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同窓会会則施行
会員名簿第1号作成 |
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49年 5月 |
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開学5周年記念講演会に生花を寄贈 |
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50年10月 |
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第2回同窓会総会開催
役員、幹事19名選出 |
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51年10月 |
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山陽学園創立90周年記念事業に寄付 |
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52年 5月 |
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幹事会にて会長・副会長を選出
初代会長 中村みきえ 就任 |
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53年 |
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第2号会員名簿発行 |
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10月 |
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山陽学園短期大学創立10周年記念
池の噴水1基を贈呈 |
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54年 4月 |
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「同窓会を考える会」を組織 |
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62年 |
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会費を終身制会費へ移行 |
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63年 8月 |
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第3回同窓会総会開催
二代目会長 日笠 佐知恵 就任 |
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10月 |
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同窓会会報創刊号発行
第3号会員名簿発 |
| 平成 |
元年 |
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同窓会会報第2号発行 以後毎年発行
山陽学園短期大学創立20周年事業寄付
学生会館建立 |
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6年 |
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山陽学園大学へ時計台を贈呈 |
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7年 |
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第4号会員名簿発行
阪神淡路大震災被災地へ支援金寄付 |
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8年 |
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創立110周年記念及び大学教育に対する寄付 |
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11年 |
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山陽学園短期大学創立30周年記念寄付 |
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14年 |
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山陽学園短期大学同窓会
ボランティア部「花水木の会」発足 |
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15年10月 |
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三代目会長(現会長) 岡本友美 就任 |
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16年12月 |
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新潟県中越地震災害義援金を寄付 |
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18年 |
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山陽学園創立120周年記念
西川ヘレン講演会開催 |
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現在に至る |
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